◆◆【言いたい放談】試される欧州の価値観~香港の自由と人権か、それともチャイナマネーか?[R2/7/9]
https://www.youtube.com/watch?v=kOxmAG9JX7c
◆ コローナ事件が国際社会で騒がれるようになった昨年の暮れ12月
◆ あれから既に7ヶ月を経た今に至っても
◆こうなれば、主謀国以外は,互いに敵と味方に分かれて
◆◆1)コロナ禍でも英国がEUに強硬姿勢でのぞむわけ
移行期間を延長せず、新たな合意なき離脱へ
◆◆「日本人の知らないスパイ活動の全貌」
(前半)』クライン孝子 AJER2019.4.10(5)
https://www.youtube.com/watch?v=fCd0pAQ9stI
より
<<14 対仏略奪戦に勝利したイギリスの過去1
―植民地ビジネス―
■フランクフルトの理由
■仲の悪い英仏が
を転載させていただきますね。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◆ コローナ事件が国際社会で騒がれるようになった昨年の暮れ12月、私は一瞬これは核戦争に代わる細菌戦争ではなかろうかと推測しました。
そう。現時点いよいよ世界のトップを争う米中両国、つまり追う中国と追われる米国両国が第3次背か戦争を始めたのではと・・・・
◆ あれから既に7ヶ月を経た今に至ってもその疑惑から解放されないばかりか、主役の米中両国による戦いはますます険悪さを増しているばかりか、世界中を混乱に陥れつつあります。
◆こうなれば、主謀国以外は,互いに敵と味方に分かれて、疑心暗鬼となって、戦いをさらに複雑化してしまうのが世の常。さて今後 どう展開するものか?
参照
◆◆1)コロナ禍でも英国がEUに強硬姿勢でのぞむわけ
移行期間を延長せず、新たな合意なき離脱へ
https://toyokeizai.net/articles/-/351098
2)【緊急告知】7.9香港は死んだ!香港の自由・民主の死は明日の台湾・日本[桜R2/7/6]
https://www.youtube.com/watch?v=8qO3eiTDLJw&t=94s
3)第173回【水間条項TV】フリー動画
『三峡ダム大放水で武漢市民は腰まで水浸しで「誰か助けて~」:他』
https://www.youtube.com/watch?v=spx35gJydA8
4)習氏の「国賓中止」めぐり…自民“弱腰”決議のウラに親中派のドン・二階氏 有本香氏「あきれる話」
https://news.yahoo.co.jp/articles/64378f32b6fa6cf22a0b73809865e1bcb5f1b206
というわけで、
◆◆「日本人の知らないスパイ活動の全貌」
(前半)』クライン孝子 AJER2019.4.10(5)
https://www.youtube.com/watch?v=fCd0pAQ9stI
並びに
ベッラさんのブログより(氏とはいろいろと意見は異なりますが、私は氏を高く買っています)
https://blog.goo.ne.jp/bellavoce3594/e/fccc4fb2fb8b9b82c645da51715f027f
より
◆◆<<14 対仏略奪戦に勝利したイギリスの過去1
―植民地ビジネス―
■フランクフルトの理由
最初に断っておくが、例の「英国EU離脱」ドラマに関し、巷間であれこれ取り沙汰されているのと異なった視点から、このテーマに迫ってみたくなり、従って、今回は上中下三回にわたってレポートすることにした。
ヨーロッパは、幼少のころから私にとって憧れの地だった。その憧れの地での移住が実現したのは、一九六八年の五月のこと。
最初はスイスのチューリッヒに一年、その後ドイツへ移動し、以来、半世紀にわたってフランクフルトに棲み着くことになり、そういう意味ではフランクフルトは、私にとって、第二のふるさとになってしまった(ような気がする)。
しかしそれにしても、元来、放浪癖のある私がなぜ、フランクフルトに根を下ろしてしまったのか。
理由は三点ある。
一点は、偶然、フランクフルト土地っこである青年〈=現配偶者〉とフランクフルト大学で知り合い、結婚し、ときどき派手な夫婦喧嘩をするものの、最終的には、どちらかが折れることで仲直りして今日に至っていること。
二点は、そのフランクフルトが、ちょうど地理的に欧州大陸の中心部に位置していて、北部欧州大陸から地中海沿岸諸国主要都市に至って、半径約二〇〇〇キロ以内に収まる位置にあるばかりか、フランクフルトには、ロンドンのヒースロー空港、パリのシャルル・ド・ゴール空港と並ぶ大型空港があり、飛行時間ほぼ二時間以内で目的地に到達出来ること。
三点は、当地は第二次世界大戦以後、世界最大規模のCIA支部(約一〇〇〇人の諜報課員=スパイが常駐)があり、従って情報収集に事欠かないこと(もっとも私の耳に入ってくる情報など実に些細なもので、取るにたらないのだが……)。
という訳で、フランクフルトに在ってこれまで、何か西ヨーロッパでことが起きると(たとえほんの些細な噂話程度であっても)、居ても立ってもいられなくなって、北はモスクワ、南はイベリア半島、さらに北アフリカまで飛び、現地のナマ情報を拾ってきた。
「百聞は一見にしかず」とはよく言ったもので、ゆく先々ではそれぞれ、それなりの貴重な情報が転がっていて、それを発見するだけでも、私にとっては大収穫であり、新鮮な気分に浸れたのだ。
そういえば、スイスに到着して、確か二週間目だったと思う。少女時代からずっと憧れ続けてきたロンドンとパリは、何が何でもいの一番に見学することに決めていたこともあって、早速、るんるんサイトシーイングで訪れたときのこと。 その私の両国に対する最初の印象だが、ロンドンに着き、ある英国紳士とホテルのロビーで軽い会話を交わしたとき、何気なく英国の呼び名を「イングランド」と言ったところ、即座に「グレート・ブリテン」と訂正された。
一方、その後、飛んだパリの空港ではスチュワーデスに英語で話しかけたところ、露骨にいやな顔をされ聞かなかった振りをされ、再び、今度は大声で繰り返したところ、私のすぐ後にいた見知らぬ外人から、「ここはフランス。フランス語で話さなくちゃあ」と注意され、「聞くと見るとでは大違い」とはよく言ったものだと思った。
と同時に、その理由が知りたくて、ある時、知人のドイツ人に尋ねてみたところ、「英国とフランスというのは、古くから、というより、とりわけ近世に入ってからというもの、互いにライバル意識を剥き出しにして、何かことがあると睨みあい、ケンカしてきた。仲良くしてきたのはほんの一時期で、しかも見かけだけ。その歴史を今日に至っても引きずっている。しかも消えるどころか、逆にオモテに出てこない分、陰湿になってきている」と……。
ということは、今回の「英国EU離脱」も、そもそもその原因を突きつめていくと、最終的には、英仏の積年の恨みつらみ(とりわけフランス側の)が、ここへ来て再び、表面化してきたということか。
■仲の悪い英仏が
そもそも英仏両国の仲の悪さのきっかけは古きに遡る。
十三世紀にヴェネツィア商人マルコ・ポーロがシルクロード経由で中国やインドなどアジアを旅し、『東方見聞録』として世に紹介したことから、これに触発されて、十五世紀に入ると、ヴァスコ・ダ・ガマが約三ヶ月の航海でアフリカの南端喜望峰に到着しインド洋に入った。次いでフェルディナンド・マゼランが史上初の世界一周を行った。さらにクリストファー・コロンブスがアメリカ大陸を発見した。
ことここに至って、ヨーロッパでは海外に対する関心が一挙に高まり、当時の大航海先進国ポルトガルに続いて、スペイン、フランス、オランダ、イギリスが国を挙げての植民地収奪合戦へと突入していった。
中でも英仏両国による植民地拡張合戦は熾烈で、インドでは「第1次、2次、3次カーナティック戦争(一七四四―六一年)」や「プラッシーの戦い(一七五七年)」、北米カナダでは「フレンチ・インディアン戦争(一七五四―六三年)」で正面衝突し、結果、フランスは全て英国に勝ちを譲ってしまった。
一方英国はその勝ち馬に乗って、マレーシア、インド、南アフリカ、ナイジェリア、ガーナ、イラク、エジプト、オーストラリア、ニュージーランドを植民地にした上、ペルシア湾近辺のサウジアラビア、バーレーン、クエートにおいては、制海権を握り保護領(=半植民地)にし、たとえば、日本人御木本幸吉が人工パールの作成法を発見するまで、これらの国の特産物天然真珠に目をつけ、バーレーンの首都マナーマを集積地としボンベイに出荷し、ここを中継地にロンドンなどヨーロッパ各主要都市の宝石商人との利権ビジネスをほぼ八割くらい独占した。
一方フランスの植民地はアジアではベトナム、ラオス、カンボジア、北アフリカのアルジェリア、チュニジア、マリに限られてしまった。
しかしそれにしても、こと植民地に関してフランスの後追いをしていた英国が、やがてそのフランスをいとも簡単に追い越し撃破し七つの海を傘下におき、自他共に植民地主義的な大国=帝国として、二十一世紀の今に至ってもなお、その名をほしいままにした威力とは一体、何だったのだろうか。
一つは、英国が島国で、大陸と一線を画してきたこと。つまり海峡突破によってイギリス侵攻を試みたナポレオンによる「トラファルガー戦役(一八〇五年)」が見事に失敗したように、海が英国の、難攻不落の強固な「壁」となり、この国を戦場にすることを回避した。十八世紀に内陸で勃発したドイツ対仏、露、オーストリアとの「七年戦争(一七五六―六三年)」など所詮、海の向こうの出来事にすぎず、「他岸の火事」で高みの見物でいられた。
二つは、それゆえに、独自の諜報機関構築が可能となり、ときには海賊にも変身し、他国船を襲撃する中、その都度彼ら敵の海男を捕虜にし、豊富な情報収集に当たり、攻撃材料の道具として活用したばかりか本国ビジネスに応用した。
とりわけ英国が好んで活用した植民地ビジネスに十七世紀頃から始まった「三角貿易」がある。当時、活気のあったリヴァプールやプリストルの港を利用し、出港した貨物船に、英国製特産物とはいうものの、その実、多くは自国製の武器を積み込み、これをアフリカまで運ぶ。そして現地の奴隷狩り商人(多くはアフリカ人現地有力ボス)に売りつけ、ついでアフリカ黒人奴隷を買い、西インド諸島や北米大陸に運び奴隷市場で売買する。そして空になった船に、欧州では珍しいタバコや綿花など南米産の商品を積み込み本国に持ち帰る。
これに味をしめた英国! 十九世紀に入ると、アジアの植民地にもこの三角貿易を適用し、インド産のアヘンを中国に輸出し、代わりに中国から本国に中国茶を運ぶ独占ビジネスに着手し、結果、暴利をむさぼり、巨万の富を蓄えることになった。この対英国植民地獲得戦争で血にいっぱいまみれたフランスの怨恨たるやいかばかりだったか。想像に難くない。
ところがあろうことか、十九世紀に入ると、そのフランスに英国が、しきりに友好サインをちらつかせ始めたのだ。一体、この両国に何が起こったのだろうか。>>
===========================
◆◆「神と人間道」ミュンヘン在住永冶ベックマン啓子
http://d.hatena.ne.jp/eschborn/20180121/1516539025
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◆◆西部先生ゼミナール、クライン孝子の巻
http://s.mxtv.jp/nishibe/archive.php?keyword=%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3%E5%AD%9D%E5%AD%90
クライン孝子から見えてきた事
http://blog.55fujix.com/shacho_blog/4622
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◆安倍昭恵氏よりご丁寧なお礼のお手紙を頂戴しました拙著
==敗戦国・日本とドイツ 戦後70年でなぜ差がついたのか=
ドイツ在住45年余のノンフィクション作家、渾身の直言。
http://books.rakuten.co.jp/rb/13452098/
http://bookmeter.com/b/4396615361
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◆あけのうた雅楽振興会代表理事 はせくらみゆき
http://www.akenoutagagaku.com/
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◆仲良しの永冶ベックマン啓子さんよりお知らせです。
ドイツ 最新栄養学の無料メール・講座の案内です。
正しい情報に出会えば、今まで不可能と思われていた事が起きたり、出来
るようになり、健康な日常生活を取り戻すことが可能です。
http://german-sup.com/mail/
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他紙より面白い産経紙購読のお薦め
http://reader.sankei.co.jp/reader/
小堀 桂一郎 (著) [靖国神社と日本人 ]
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曽野綾子著
「群れない」生き方 ひとり暮らし、私のルール
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曽野綾子著『イエスの実像に迫る』
http://kairyusha.co.jp/ISBN/ISBN978-4-7593-1482-3.html
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_21世紀を迎えた今世界は混沌としています。日本もその渦て
政治経済ともに、国際的視点に立脚し欧州からの情報収集が不可欠に
なってきています。欧州の国際情勢を日記風にまとめドイツ滞在歴
半世紀余りの体験を生かし、現地よりレポートします。
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・ 上記につきクライン孝子名抜きのメルマガの転載・発言は固く
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(なお「クライン孝子」および「クライン孝子の日記」
と明記されていれば、転載・発言は大いに結構! 歓迎いたします)
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第174回【水間条項TV】フリー動画
『香港民主派の英雄チン・インラム(15歳女子)さんの死を無駄にしてはいけない』
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デモ参加者は大半が中学生 中共邪悪に戦う香港の勇敢な若者に捧ぐ「香港反送中一周年」
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アドレナクロームがトルコの国営テレビ番組に! #アドレナクローム #子供の誘拐
https://www.youtube.com/watch?v=0MkYa9Gvx8w
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◆こうなれば、主謀国以外は,互いに敵と味方に分かれて
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移行期間を延長せず、新たな合意なき離脱へ
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(前半)』クライン孝子 AJER2019.4.10(5)
https://www.youtube.com/watch?v=fCd0pAQ9stI
より
<<14 対仏略奪戦に勝利したイギリスの過去1
―植民地ビジネス―
■フランクフルトの理由
■仲の悪い英仏が
を転載させていただきますね。
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◆ コローナ事件が国際社会で騒がれるようになった昨年の暮れ12月、私は一瞬これは核戦争に代わる細菌戦争ではなかろうかと推測しました。
そう。現時点いよいよ世界のトップを争う米中両国、つまり追う中国と追われる米国両国が第3次背か戦争を始めたのではと・・・・
◆ あれから既に7ヶ月を経た今に至ってもその疑惑から解放されないばかりか、主役の米中両国による戦いはますます険悪さを増しているばかりか、世界中を混乱に陥れつつあります。
◆こうなれば、主謀国以外は,互いに敵と味方に分かれて、疑心暗鬼となって、戦いをさらに複雑化してしまうのが世の常。さて今後 どう展開するものか?
参照
◆◆1)コロナ禍でも英国がEUに強硬姿勢でのぞむわけ
移行期間を延長せず、新たな合意なき離脱へ
https://toyokeizai.net/articles/-/351098
2)【緊急告知】7.9香港は死んだ!香港の自由・民主の死は明日の台湾・日本[桜R2/7/6]
https://www.youtube.com/watch?v=8qO3eiTDLJw&t=94s
3)第173回【水間条項TV】フリー動画
『三峡ダム大放水で武漢市民は腰まで水浸しで「誰か助けて~」:他』
https://www.youtube.com/watch?v=spx35gJydA8
4)習氏の「国賓中止」めぐり…自民“弱腰”決議のウラに親中派のドン・二階氏 有本香氏「あきれる話」
https://news.yahoo.co.jp/articles/64378f32b6fa6cf22a0b73809865e1bcb5f1b206
というわけで、
◆◆「日本人の知らないスパイ活動の全貌」
(前半)』クライン孝子 AJER2019.4.10(5)
https://www.youtube.com/watch?v=fCd0pAQ9stI
並びに
ベッラさんのブログより(氏とはいろいろと意見は異なりますが、私は氏を高く買っています)
https://blog.goo.ne.jp/bellavoce3594/e/fccc4fb2fb8b9b82c645da51715f027f
より
◆◆<<14 対仏略奪戦に勝利したイギリスの過去1
―植民地ビジネス―
■フランクフルトの理由
最初に断っておくが、例の「英国EU離脱」ドラマに関し、巷間であれこれ取り沙汰されているのと異なった視点から、このテーマに迫ってみたくなり、従って、今回は上中下三回にわたってレポートすることにした。
ヨーロッパは、幼少のころから私にとって憧れの地だった。その憧れの地での移住が実現したのは、一九六八年の五月のこと。
最初はスイスのチューリッヒに一年、その後ドイツへ移動し、以来、半世紀にわたってフランクフルトに棲み着くことになり、そういう意味ではフランクフルトは、私にとって、第二のふるさとになってしまった(ような気がする)。
しかしそれにしても、元来、放浪癖のある私がなぜ、フランクフルトに根を下ろしてしまったのか。
理由は三点ある。
一点は、偶然、フランクフルト土地っこである青年〈=現配偶者〉とフランクフルト大学で知り合い、結婚し、ときどき派手な夫婦喧嘩をするものの、最終的には、どちらかが折れることで仲直りして今日に至っていること。
二点は、そのフランクフルトが、ちょうど地理的に欧州大陸の中心部に位置していて、北部欧州大陸から地中海沿岸諸国主要都市に至って、半径約二〇〇〇キロ以内に収まる位置にあるばかりか、フランクフルトには、ロンドンのヒースロー空港、パリのシャルル・ド・ゴール空港と並ぶ大型空港があり、飛行時間ほぼ二時間以内で目的地に到達出来ること。
三点は、当地は第二次世界大戦以後、世界最大規模のCIA支部(約一〇〇〇人の諜報課員=スパイが常駐)があり、従って情報収集に事欠かないこと(もっとも私の耳に入ってくる情報など実に些細なもので、取るにたらないのだが……)。
という訳で、フランクフルトに在ってこれまで、何か西ヨーロッパでことが起きると(たとえほんの些細な噂話程度であっても)、居ても立ってもいられなくなって、北はモスクワ、南はイベリア半島、さらに北アフリカまで飛び、現地のナマ情報を拾ってきた。
「百聞は一見にしかず」とはよく言ったもので、ゆく先々ではそれぞれ、それなりの貴重な情報が転がっていて、それを発見するだけでも、私にとっては大収穫であり、新鮮な気分に浸れたのだ。
そういえば、スイスに到着して、確か二週間目だったと思う。少女時代からずっと憧れ続けてきたロンドンとパリは、何が何でもいの一番に見学することに決めていたこともあって、早速、るんるんサイトシーイングで訪れたときのこと。 その私の両国に対する最初の印象だが、ロンドンに着き、ある英国紳士とホテルのロビーで軽い会話を交わしたとき、何気なく英国の呼び名を「イングランド」と言ったところ、即座に「グレート・ブリテン」と訂正された。
一方、その後、飛んだパリの空港ではスチュワーデスに英語で話しかけたところ、露骨にいやな顔をされ聞かなかった振りをされ、再び、今度は大声で繰り返したところ、私のすぐ後にいた見知らぬ外人から、「ここはフランス。フランス語で話さなくちゃあ」と注意され、「聞くと見るとでは大違い」とはよく言ったものだと思った。
と同時に、その理由が知りたくて、ある時、知人のドイツ人に尋ねてみたところ、「英国とフランスというのは、古くから、というより、とりわけ近世に入ってからというもの、互いにライバル意識を剥き出しにして、何かことがあると睨みあい、ケンカしてきた。仲良くしてきたのはほんの一時期で、しかも見かけだけ。その歴史を今日に至っても引きずっている。しかも消えるどころか、逆にオモテに出てこない分、陰湿になってきている」と……。
ということは、今回の「英国EU離脱」も、そもそもその原因を突きつめていくと、最終的には、英仏の積年の恨みつらみ(とりわけフランス側の)が、ここへ来て再び、表面化してきたということか。
■仲の悪い英仏が
そもそも英仏両国の仲の悪さのきっかけは古きに遡る。
十三世紀にヴェネツィア商人マルコ・ポーロがシルクロード経由で中国やインドなどアジアを旅し、『東方見聞録』として世に紹介したことから、これに触発されて、十五世紀に入ると、ヴァスコ・ダ・ガマが約三ヶ月の航海でアフリカの南端喜望峰に到着しインド洋に入った。次いでフェルディナンド・マゼランが史上初の世界一周を行った。さらにクリストファー・コロンブスがアメリカ大陸を発見した。
ことここに至って、ヨーロッパでは海外に対する関心が一挙に高まり、当時の大航海先進国ポルトガルに続いて、スペイン、フランス、オランダ、イギリスが国を挙げての植民地収奪合戦へと突入していった。
中でも英仏両国による植民地拡張合戦は熾烈で、インドでは「第1次、2次、3次カーナティック戦争(一七四四―六一年)」や「プラッシーの戦い(一七五七年)」、北米カナダでは「フレンチ・インディアン戦争(一七五四―六三年)」で正面衝突し、結果、フランスは全て英国に勝ちを譲ってしまった。
一方英国はその勝ち馬に乗って、マレーシア、インド、南アフリカ、ナイジェリア、ガーナ、イラク、エジプト、オーストラリア、ニュージーランドを植民地にした上、ペルシア湾近辺のサウジアラビア、バーレーン、クエートにおいては、制海権を握り保護領(=半植民地)にし、たとえば、日本人御木本幸吉が人工パールの作成法を発見するまで、これらの国の特産物天然真珠に目をつけ、バーレーンの首都マナーマを集積地としボンベイに出荷し、ここを中継地にロンドンなどヨーロッパ各主要都市の宝石商人との利権ビジネスをほぼ八割くらい独占した。
一方フランスの植民地はアジアではベトナム、ラオス、カンボジア、北アフリカのアルジェリア、チュニジア、マリに限られてしまった。
しかしそれにしても、こと植民地に関してフランスの後追いをしていた英国が、やがてそのフランスをいとも簡単に追い越し撃破し七つの海を傘下におき、自他共に植民地主義的な大国=帝国として、二十一世紀の今に至ってもなお、その名をほしいままにした威力とは一体、何だったのだろうか。
一つは、英国が島国で、大陸と一線を画してきたこと。つまり海峡突破によってイギリス侵攻を試みたナポレオンによる「トラファルガー戦役(一八〇五年)」が見事に失敗したように、海が英国の、難攻不落の強固な「壁」となり、この国を戦場にすることを回避した。十八世紀に内陸で勃発したドイツ対仏、露、オーストリアとの「七年戦争(一七五六―六三年)」など所詮、海の向こうの出来事にすぎず、「他岸の火事」で高みの見物でいられた。
二つは、それゆえに、独自の諜報機関構築が可能となり、ときには海賊にも変身し、他国船を襲撃する中、その都度彼ら敵の海男を捕虜にし、豊富な情報収集に当たり、攻撃材料の道具として活用したばかりか本国ビジネスに応用した。
とりわけ英国が好んで活用した植民地ビジネスに十七世紀頃から始まった「三角貿易」がある。当時、活気のあったリヴァプールやプリストルの港を利用し、出港した貨物船に、英国製特産物とはいうものの、その実、多くは自国製の武器を積み込み、これをアフリカまで運ぶ。そして現地の奴隷狩り商人(多くはアフリカ人現地有力ボス)に売りつけ、ついでアフリカ黒人奴隷を買い、西インド諸島や北米大陸に運び奴隷市場で売買する。そして空になった船に、欧州では珍しいタバコや綿花など南米産の商品を積み込み本国に持ち帰る。
これに味をしめた英国! 十九世紀に入ると、アジアの植民地にもこの三角貿易を適用し、インド産のアヘンを中国に輸出し、代わりに中国から本国に中国茶を運ぶ独占ビジネスに着手し、結果、暴利をむさぼり、巨万の富を蓄えることになった。この対英国植民地獲得戦争で血にいっぱいまみれたフランスの怨恨たるやいかばかりだったか。想像に難くない。
ところがあろうことか、十九世紀に入ると、そのフランスに英国が、しきりに友好サインをちらつかせ始めたのだ。一体、この両国に何が起こったのだろうか。>>
===========================
◆◆「神と人間道」ミュンヘン在住永冶ベックマン啓子
http://d.hatena.ne.jp/eschborn/20180121/1516539025
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◆◆西部先生ゼミナール、クライン孝子の巻
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クライン孝子から見えてきた事
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◆安倍昭恵氏よりご丁寧なお礼のお手紙を頂戴しました拙著
==敗戦国・日本とドイツ 戦後70年でなぜ差がついたのか=
ドイツ在住45年余のノンフィクション作家、渾身の直言。
http://books.rakuten.co.jp/rb/13452098/
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◆あけのうた雅楽振興会代表理事 はせくらみゆき
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◆仲良しの永冶ベックマン啓子さんよりお知らせです。
ドイツ 最新栄養学の無料メール・講座の案内です。
正しい情報に出会えば、今まで不可能と思われていた事が起きたり、出来
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チャンネル桜二千人委員会入会のお薦め
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他紙より面白い産経紙購読のお薦め
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小堀 桂一郎 (著) [靖国神社と日本人 ]
https://www.amazon.co.jp/%E9%9D%96%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E3%81%A8%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA-PHP%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%B0%8F%E5%A0%80-%E6%A1%82%E4%B8%80%E9%83%8E/dp/4569601502/ref=dp_return_2?_encoding=UTF8&n=465392&s=books
曽野綾子著
「群れない」生き方 ひとり暮らし、私のルール
https://books.rakuten.co.jp/rb/16185999/
曽野綾子著『イエスの実像に迫る』
http://kairyusha.co.jp/ISBN/ISBN978-4-7593-1482-3.html
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
_21世紀を迎えた今世界は混沌としています。日本もその渦て
政治経済ともに、国際的視点に立脚し欧州からの情報収集が不可欠に
なってきています。欧州の国際情勢を日記風にまとめドイツ滞在歴
半世紀余りの体験を生かし、現地よりレポートします。
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
・ 上記につきクライン孝子名抜きのメルマガの転載・発言は固く
お断りいたします。
(なお「クライン孝子」および「クライン孝子の日記」
と明記されていれば、転載・発言は大いに結構! 歓迎いたします)
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メルマガ発行者: クライン孝子 (フランクフルト在住 )
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***Weckruf nach Gerichtsentscheid in London? Bye-bye, deutsche Goldreserven
https://deutsch.rt.com/international/104156-weckruf-nach-gerichtsentscheid-in-london-bye-bye-deutsches-gold/?utm_source=taboola&utm_medium=cpc&utm_campaign=Daily_News_Desktop_Tablet_DE&utm_content=msn-germany-home&tblci=GiBRpx-Cfz8PbeL_yxqNG3rljPUouLVo5tBDNMJLN78zSSCckE8#tblciGiBRpx-Cfz8PbeL_yxqNG3rljPUouLVo5tBDNMJLN78zSSCckE8
第174回【水間条項TV】フリー動画
『香港民主派の英雄チン・インラム(15歳女子)さんの死を無駄にしてはいけない』
https://www.youtube.com/watch?v=44UiUXXzB6c
デモ参加者は大半が中学生 中共邪悪に戦う香港の勇敢な若者に捧ぐ「香港反送中一周年」
https://www.youtube.com/watch?v=ZwyeN7OIZTM
アドレナクロームがトルコの国営テレビ番組に! #アドレナクローム #子供の誘拐
https://www.youtube.com/watch?v=0MkYa9Gvx8w
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